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     宍戸さんには、お金が無い!


    その10 〜脱出〜 の巻



   俺は、必死に砂利道を走っていた。

   裸足の足の裏に細かな石が食い込み、かなり痛みが強かったが、止まらずに走り続けた。

   逃げた事はすぐにバレてしまうだろう。

   一階のエントランスも、この道にも、ずっと監視カメラが設置されていたのに、俺はすぐに

    気がついた。たぶん、防犯用のカメラが何台もこの家には設置してあるのだ。


   来た時には、ベンツで走って十五分もかかった道だった。

   人間の俺が走って、出口までどのくらいあるのか。その後で、家までの道のりを走り続ける

    事を考えると、気が遠くなりそうだった。


   今も、一歩踏み出すたびに全身に激痛が走っている。思ったよりも昨晩のダメージが

    抜けていないようだった。


   その時、俺の背後で、自動車の低いエンジン音が聞こえてきた。

   どうやら、俺が逃げた事に気がついて追いかけてきたらしい。

   そっと振り返ると、五、六台の自動車が追いかけてきていた。

   俺は、あっと言う間に追いつかれると、目の前でベンツが数台停止した。その中から何人か、

    黒服の男達が降りてきて、俺を捕まえようとしたので、とっさに身をかわすと、方向転換して

    林の中へ走り込んだ。
逃げ切れる自信は全く無かった。

   それでも、最後まで、自分は抵抗すると思う。

   それが俺の性格のような気がする。

   どんな事があっても、絶対に他人に屈服はしない。自分にも負けたくない。

   そのために、今、走っているのだ。

   俺は、男達の腕を交わそうとして、滑って転んでしまった。

   柔らかな土の上に落ちたので、顔も白いパジャマも土色に薄汚く汚れている。

   そのまま取り押さえられると、黒服の男達に抱えられ、先ほどの砂利道へと

    連行されていった。


   そこには、予想通り、鳳長太郎と、黒沼、寿、そして、俺を逃がしてしまった初音がいた。

   俺は、鳳に笑いかけた。ここで泣き出すような気分にはならなかった。

   何度でも、俺は逃げる。

   連れ帰っても、結局は同じ事なのだと、鳳にわからせてやりたかった。

   「何という事をするんですか? あなたは! ご当主様を裏切るなんて。」

   鳳の代わりに叫んだのは、メイド頭の寿だった。語尾が震えているので怒りの

    度合いがわかった。


   この冷静な人も、怒鳴る事があるんだなぁ〜と俺は思って、また笑ってしまった。

   「あなた様は、ご自分の立場が全くわかっておられないようですな。昨晩も言いましたが、

    宍戸家の方に負債を返せるアテがあるのですか? それとも、あなた様が学校を止めて、

    ご自分で働くのでしょうか? 」


   「ああ、そうするよ。」

   俺がそう即答すると、黒沼の方が、度肝を抜かれた顔で硬直してしまった。

   俺は、この場で言いたい事を全部言う事にした。

   だいたい、最初から奇妙だったのだ。

   この仕事を受けると、俺は一度も返事をしていない。

   俺の意思を誰も確認していないのだ。

   「俺は、この仕事を受ける気は全く無い。

    俺はここに住む気もないし、お前らの言う事を聞く気も無い。

    自分の思った通りにこれまで通りにやっていく。

     
鳳、俺は家に帰るよ。

    俺は、お前を様づけでは絶対に呼ばないし、召使いになる気も全く無い。

    今後、何があっても一生涯、それは変わらないから。」

   そう言って真剣な顔を鳳に向けると、ヤツも俺を同じような必死な表情で見つめ返していた。

   「待ってください。聞いてください。亮様は、誤解をしているんです。長太郎様は、初めから

     召使いだなんて思っていません。それどころか……。」


   初音が必死で何かを叫んでいたが、鳳長太郎はそれを制して、冷たい口調でこう言った。

   「良くわかりました。 宍戸亮は、今後、一切、この館の出入りは禁止します。

    宍戸家と、鳳家は縁を切らせていただきます。


   ただ、あなたのご自宅の返却は不要ですよ。

    返してもらっても何の利用価値もありませんので。


    貸した資金は、宍戸さんが働いて返却してくれるのなら、それでかまいません。

    ただ、大学までは氷帝をきちんと出てください。学校を出ていないのでは仕事も

    見つけにくいでしょう。それ
では、返済がさらに遅れるばかりです。

   それに……。あなたとのお別れの選別に、これを差し上げましょう。」

   鳳は、懐から拳大の包みを取り出し、俺に投げてよこした。

   受け取ってみると、プレゼント用に、綺麗に包装され、リボンがつけられていた。

    重さは、かなり軽いものだった。


   誰かの、プレゼントなのか?

   俺が、それを持った事を確認すると、鳳は冷たい微笑みを浮かべた。

   「それは、退職金代わりです。売って返済の一部に当てると良いかもしれません。

     それでも、負債を補うには微々だるものです。宍戸さんが、いつ頃までに全部支払い

     終わるのか、とても見物ですね。」


   そう言うと、くるりと踵を返し、運転手である岩槻が待つベンツの後部席へと入っていった。

   鳳長太郎は、最後まで振り返らなかった。

   だから、彼が、どんな表情をしているのか、俺にはわからなかった。

   鳳の乗ったベンツが砂埃を上げて、猛スピードで走り去っていくのを、俺はじっと

   見送っていた。


   これで、全てが終わったのだ。

   俺は安堵すると共に、不思議な脱力感を感じていた。身体がずるずると地面に落ちていった。

   どこか遠くて、初音の叫び声が聞こえた。

   良く大声を出す女だと思う。小さい身体なのに、変なパワーのある女だ。

   そう言えば、コイツは鳳長太郎が好きだったのだ、と考えつつ、その後の意識は

    途絶えてしまった。
俺は自分で考えていたよりも、ずっと疲労していたらしい。

   身体もそうだが、心の中もだ。

   見も心もボロボロと言うのは、こういう状態の事を言うのかもしれない。



                                  第一話  了



       第二話 その1〜宍戸亮、帰宅する〜の巻へ続く
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